インタビュー記事1 この記事は『SPORTS Year! No.131』から転載しています。
もう一度、スタートラインに(後編)
■支えてくれたのは、スキーでした
| 里谷 |
暴行容疑で書類送検されるような騒ぎを起こしたことについて、心から謝罪したいと思います。応援してくださった皆さんに本当に迷惑をかけてしまいました。ここまでずっと、自分にはスキーがあるんだ、という気持ちでトレーニングだけに集中していました。 |
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| 里谷 |
どういう理由だとしても、反省すべきことは一杯あります。自分がやっていないことはやっていませんし、やったことについて言い訳はできません。3月の世界選手権(フィンランド)の代表から外れたことは当然ですし、自分をちゃんとコントロールできていなかったから、いけなかった。軽率な行動の結果、たくさんの方に迷惑をかけましたし、会社の方、家族にも心配をかけ、私にもう一度、競技をするチャンスを与えるために、力を貸して下さったスキー連盟の方、本当は人と話をする気にさえなれなかった苦しい時期に変わらず応援して下さった方や、励ましをしてくれた方々には本当にお礼が言いたいです。 |
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里谷さん、自覚が足りないというか、ないんですよね、自分があの伊藤みどりさんも、橋本聖子さんも取れなかった金メダルを手にしたたった一人の女性だという。 |
| 里谷 |
一番反省すべきなのはその部分です。メダリストに対する注目をもっと大切に考えなくてはいけなかった。遅すぎるんですが自覚が足りませんでした。誰も私のことなんて知らないだろうな、と、自分の中で思っていたところはあったと思います。 |
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8ヶ月間、どんな精神状態でしたか。 |
| 里谷 |
誰とも話しをしたくなくなって、会社やスキーの関係者とは事務的な話をしましたが、無気力状態というか、精神的に辛くて、何も考えられなかった。3月の時点で、もう人前でモーグルの演技をすることさえも嫌だな、できないだろうな、と、悩んで、悩んで、家から出られなかった。 |
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様々な報道がなされ、早い時期に、ポツンとスキーから離れてしまったことで何を考えていました? |
| 里谷 |
引きこもってしまう人たちの気持ちですね。家から出たくなくなっていくのは、こういう感じなのかなと、そういう状態の人たちの気持ちは何だか分るように思いました。会社にも迷惑をかけたのだからクビになるだろうし、スキーももうできないだろうと覚悟もしました。けれどもしばらくすると、人前に出るのがもう嫌だと思う気持ち以上に、競技のために、自分はこういう状態をバネに頑張らなくてはいけないんじゃないかと、少しずつ気持ちが変わって来たような気がします。これは私だけではありませんが、本当に辛いときには、人間、自分で解決するしかないのだと思います。 |
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そうですね、それしかない。まして、自分で蒔いた種です。 |
| 里谷 |
はい。自分の気持ちの整理をつけた後に、友達や家族、会社の方々、連盟のみなさんの励ましは温かくて、本当に助けられました。 |
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今回の件で、里谷さんにとって一番大切なものを失うことになったかもしれない、と考えたことはありますか。 |
| 里谷 |
あります。支えてくれたのはスキーでした。世界選手権がなかった分、トレーニング時期を早めにすることにしました。海外の合宿に出て、トレーニングを積んでいくうちに、何と言うか、私にはスキーがあるんだ、と思うようになりました。私はスキーが好きだと改めてよく分かったし、少しずつ前向きになることもできた。 |
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私にはスキーがある。それが支えに? |
| 里谷 |
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練習をしながらも、どこか集中できない部分もあったのでは。 |
| 里谷 |
新しい形で取り組む練習が多くなるんですが、集中力を欠いていたところはあったと思います。ただ、スキーがもう一度できさえすれば、今回のことが競技に悪い影響を与えるとは思いませんでした。気持ちは切り替えられると信じてきました。 |
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モーグルはよく、勇気の競技だと言われますよね。大一番で一番難しい技に挑むし、プレッシャーは相当なものでしょう。 |
| 里谷 |
私は、勇気がないです。見ている人には意外かもしれないんですが、私は、やれる、という自信がないとトライもしない。 |
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トライも? |
| 里谷 |
雪の上で怪我をすると思って跳ぶのは絶対に嫌です。ルールも変わりましたし、今では頭を下にして跳ぶわけですから、もの凄く恐怖心があります。大怪我をすると思うと、でも最初の1本はやるしかないですけれど。そういう技にチャレンジしながら怪我をする人たちを一杯見て、担架で運ばれる姿を見ていると、本当に恐ろしくて、自分にはああいうエアは無理だろうな、と去年あたりは見ていたんです。 |
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大ベテランさえ恐ろしいという恐怖心が増したとすれば、やはりルール改正でしょうか?子供の頃からジャンプをやっている選手に、ジャンプは怖くないですか、と聞いたり、体操選手に目が回ったり怖くありませんか、と聞くのとはちょっと違いますよね。里谷さん、空中でバック転を初めて練習するなんて、ぞっとしませんか。 |
| 里谷 |
先ほど話したように、3月、まだシーズン中でしたが、引きこもっていたところから、色々と事務的なことを済ませて、すぐトレーニングでハワイに飛んだんです。ハワイにトランポリンの学校があって、そこに入学し、体操とトランポリンの本格的なトレーニングを重点的に始めることにしたんですね。恐怖との戦いでした。午前中はウエイトトレーニングをし、マットでは床運動をして、バック転、宙返りの練習をしたんですが、非日常の世界ですし、ふだん味わえない感覚ですよね。周囲の目もありませんでしたから集中するうちに、だんだんと気持ちが戻ってきました。 |
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競技者としての? |
| 里谷 |
そうですね、純粋に選手としての。厳しいけれど、新しいことをやらなくては前進できない、という気持ちです。ここはハワイのジュニアチームだったんですが、一緒に練習をさせてもらいました。マックス先生という方に指導していただきましたけれど、厳しいんです。毎日怒られました。 |
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里谷さんほどのキャリアがあっても? |
| 里谷 |
真剣に指導してもらっているから当然ですが。後方宙返りはすでにできるようになっていましたが、1回ひねりだとか、2回転はなかなかついていけなかった。怖かったですね、回ってひねる、なんて感覚が分からないので、小さいときから体操もやっていればよかった、と後悔しました。この年齢で、後方宙返り1回ひねりといっても、怖いですし、急に言われてもイメージも湧かないんです。ただし、ひとつ学んだのは、反復練習ほど大事な練習はないのかな、ということですね。あれだけ繰り返してできないことなんてないんじゃないか、もしあれだけやってできないなら、そこが自分の、運動選手としての限界ですから、もうスキーを辞められるって考えました。 |
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スキーじゃなくて、アスリートとして諦められる?面白い表現ですね。でも、用具が変わるルール改正とは違って、前後回転してはいけないのが、してもいいようになるとか、人間そのものの限界点を勝手に引き上げてしまうようなルール改正は、競技が変わったような感じがしませんか? |
| 里谷 |
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採点の比重のうち、全体の50%がターン、残り25%がスピードとエア。つまり75%は支えとなる部分で、25%を残りの期間で、ということですね。 |
| 里谷 |
自分の責任ですがシーズンに大きく出遅れてしまいましたので、ツケは必ずどこかに回ってきますし、不安はあります。でも、もともとシーズンのスタートはスローな方でしたから、それをプレッシャーに、一歩ずつ行くしかないでしょうね。 |
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ひざの周り、擦り傷がひどいですね。 |
| 里谷 |
トランポリンです。枠から勢いあまって飛び出したり、スピードやパワーを抑え切れなくて、変な着地をしてしまうから、摩擦で火傷したようになるんです。スキー選手にしてみると、雪上に着地するのとは違って、トランポリンで力を加減するのは難しいですね、思った以上に。 |
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今、2つのメダルはどこにありますか? |
| 里谷 |
自分の手元ではなく、ある場所に飾って展示してもらっています。 |
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金メダリストはメダルという物には執着がないようですね。ただし、物ではなくて、金メダルを取ったご自分のことは、アスリートとしてもっと大事にして欲しいです。ご自分が思う以上に、多くの人が、今だってそう思って応援しているはずですよ。 |
| 里谷 |
もう一度スキーを履くチャンスを与えてくださった方々、支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。これを機会に、厳しいトレーニングに気持ちを入れて、目の前のシーズンに集中していきます。 |
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増島 みどり 神奈川県鎌倉市生まれ 学習院大学政治学科卒業 スポーツ紙記者として五輪、サッカー、プロ野球などを担当し、1997年からフリーのスポーツライターとして活動を開始。 サッカー、陸上競技のビックイベントなど、国内にとどまらず年間多数の海外現地取材もこなす。 1998年から自身のホームページMasujima Stadiumを開設し、取材先からリアルタイムで記事を更新している。 主な試合リポートの寄稿としてSPORTS Yeah!(角川書店)、連載に「ジーコインタビュー」(FOOTBALL NIPPON/講談社)、「ジーコ流儀」(FRIDAY/講談社)、「セブンアイ」(東京中日スポーツ新聞)、「アスリート・ラボ」(夕刊フジ大阪)など。著書に「6月の軌跡 ‘98フランスW杯日本代表39人全証言」(’98 文芸春秋/ミズノスポーツライター賞受賞)、「シドニーへ 彼女たちの42.195Km」(’01 文芸春秋)、「ゴールキーパー論」(’01 講談社)、「オリンピアン、108年目の夏」(’04 角川書店)、ほか。 |
私が知っているオリンピックの金メダリスト、男女、種目を問わずですが、彼らを、午前3時に六本木のクラブで見つけるのはとても難しいんです。過去2度の五輪で金と銅を獲得して、皆を感動させ、取材も殺到していたでしょう。そういう媒体を通じて、憧れや敬意、共感を抱いて見つめられているはずの、冬季五輪史上たった1人の女性金メダリストが、何故そんな時間に、そこにいたんでしょう。そこがまず、間違いの元だったんじゃないでしょうか。
今回、特にそういう思いが強くなったのではなくて、以前と同じ気持ちに戻れたんだと思う。誰かのために、何かのためにスキーをしたことはなかったし、今は、もしどんなに小さなレースであってもスタートラインに立つことだけを考えて行きたいと思うんです。私を思ってくれている人たちとか、凄く助けになってくださった皆さん、会社にも、友人にも、スキー関係者にも、しっかりと全力を尽くす姿を見せることで、恩返しをしたいと思います。
時代も変わるし、ルールも変わる。そういう競技だから仕方がありません。自分が選んで、それについて行くと決めたことですから、新しい技にトライして、自分がどこまでできるか見つけていくんです。でも、ルールがどれほど変わって、新しい技に続々と挑戦することになっても、私のポリシーだけは絶対に変わらない。持ち味は変わらないんです。そういう部分を持ってないとこの競技はできないです。エアはまだチャレンジ中でどこまでできるかわかりませんが、スピードとターンは絶対に疎かにはしません。