インタビュー

インタビュー記事1     この記事は『SPORTS Year! No.131』から転載しています。

もう一度、スタートラインに(前編)

インタビュアー 増島 みどり

2月の事件以来、沈黙を守ってきた里谷多英が、初めて真実を語った。4大会連続出場を狙っていたトリノ五輪は遠くかすみ、一時は引きこもり状態だったという。しかしその空白期間に自分がいかにスキーを愛しているかを再確認した。金メダリスト、逆境の再出発。

札幌郊外、手稲山にあるウォータージャンプ台の頂上を見上げると、深呼吸をし、瞑想するように両手を挙げ、ひねりのタイミングや着地をイメージしながらフォームをチェックする彼女が見えた。大幅に遅れて入ることになったオリンピックシーズンの、最後の最後、この段階になってもなお、五輪チャンピオン・里谷多英(フジテレビ)は、ウォータージャンプで「土台」を固めていた。

気合を入れるようにポニーテールをきつく結んで、ブーツに足を入れ、スキーを履く。ルール改正によって強いられることになった空中での前後の回転を繰り返しトレーニングしたため、トランポリンからはみ出し、マットにたたきつけられた両膝は、どす黒いアザと、かさぶたのついたすり傷で覆われている。

水面にたたきつけられる度に、最初はまるで骨折したかのように鈍い音がし、水しぶきがあがると今度は破裂音がする。スキーを水面にうまく接地できなければ、大きくバランスを崩し鼓膜を破る。ぞっとしていると、重装備のまま、水面にヘルメット姿で浮いて、ストックを足に挟んで、手だけで体を岸に運ぶ里谷が見える。岸に手をかけ、ようやく陸に上がってくる。

基本形(ストレート)を続け、次に、今季から取り組んだ後方宙返り(バックフリップ)をし、1回ひねりを入れる(フルツイスト)。様々なジャンプを30本は繰り返すだろうか。トリノでもし雪上の里谷を見ることが叶うとすれば、その前に、時に泥水を飲みながらここで1000本以上を跳んだ結果であり、彼女にとって真っ白な雪は、恐らく、苦しさや、困難、すべてを覆ってくれる魔法のカーペットなのだ。

里谷と会ってから、オリンピックのメダリストや、特に女性アスリートたちにファンが抱く「理想像」はどんな姿なのだろうと考えることになった。夏の五輪に16歳から4大会連続で出場し、ミスでもミセスでも金メダルを手にした柔道の谷亮子や、五輪代表に落選してもなお、「応援して下さって有難うございました」と笑顔で頭を下げ、復帰レースに今も関心を集める女子マラソンの金メダリスト・高橋尚子だろうか。彼女たちほどの好感を集めなくても、酔って暴行罪で書類送検されるなんてことを、女性トップアスリートに誰も期待していないことだけは確かだろう。

谷は、今後も「皆さんの期待に応えたい」と真剣に言い続けるであろうし、高橋や野口みずきが、朝方の六本木で深酒などするはずもない。里谷が2月の一件で麻布署で調べを受けていた朝方、彼女たちはベッドから抜け出し、高橋は、険しい坂道ばかりの千葉の農道で、野口は京都の嵐山に向かって、細い手首に巻かれたストップウォッチを押し、暗闇に駆け出すのだ。

365日変わることなく。

一方、彼女たちに勝るとも劣ることのないアスリートのキャリアを誇り、金メダル、銅メダルも手にし、冬季五輪の女子史上に燦然と輝く足跡を残しているはずのオリンピアンは、自分を「金メダリストらしく」見せることについて、人々の期待通りに振舞うことについて、驚くほど無頓着だ。

2月、猪苗代で2年ぶりにW杯の表彰台(デュアル2位)に立った夜、2年を迎えた結婚の破綻について法的な協議をするためにチームを離れて上京しなくてはならなかった。そこで話し合いを持ったが、それがうまく運ばないことを知り、さらに表彰台に立ったことを祝いたいと少しだけ気を緩め、六本木に繰り出した。しかし、クラブのボディガードに殴られ、殴り返し(相互暴行)、連れの通報によって麻布署へ連行された。取り調べの段階から、8月の書類送検でも、彼女が問われたのは、ただ「暴行容疑」だけであり、示談で決着した。

本格的にオリンピックシーズンに入るという10月上旬、スキー連盟の理事会決定によって、無論反対の声は少なくなかったが、彼女の才能については誰もが認めたという。そして、過去の実績も、全ての優遇措置も捨てさせた上で、「競技者」としてとどまることは認められた。トリノ五輪、連続メダル云々の前に、報道であれほど傷ついた女性が選べる道は2つだけだったと思う。スキーを辞め、世間からそっと姿を消すか、何を言われても腹を決め、全てを捨ててもう一度チャレンジするか。金メダリストは、2つ目を選んだ。

「競技の上で、思い通りにいかないことばかりなのです」と、今、里谷は話す。

「これだけ遅くシーズンに入った経験はありませんし、全てが手探りになった。毎日の練習で精一杯です」と、自身も話すように、4度目の五輪に行ける保証など残念ながら全くない。仮にメダルを手にできたとしても、「報道を見返した」などと、片付けられる類の話でもない。どう言われるか、何を書かれるかを覚悟した上で、もう一度立ち上がり、「自分で蒔いた種」の一部を、懸命に刈ろうと顔を上げた、不器用な女性アスリートに、私は声援を送る。惨敗も覚悟し、しかし本当の意味で「負ける」とはどういうことなのかを自らに問い、チャレンジする強さにもまた、困難を乗り越えてきたアスリートたちと同じ共感を抱けるのではないか。

手稲山でのウォータージャンプの練習中、彼女のスポーツドリンクがなくなってしまった。代わりにドリンクを買って坂を駆け上がると、里谷が立って待っていた。

スポーツバッグに水滴をポタポタ落としながら、何かを探している。

「よかった、小銭あった。わざわざすみません、これ、有難うございます」

彼女はそう言って、「そんなのいいから」と、拒もうとした私の手の平に、ドリンク代の小銭をおいて、頭を下げた。そしてまた、鎧をまとったような姿で、本当の自分を取り戻せる場所に向かってゆっくりと歩き出す。細くも、力強い後姿を見つめながら、絶対にここで辞めて欲しくないと思った。冬季オリンピックに挑戦した、日本のアスリートたちがまだ果たせない、五輪3大会連続メダル獲得の夢を、叶えて欲しいと思った。

踏み切り台から鋭い音がして振り返ると、里谷がジャンプ台から空中に勢いよく飛び出し、後方宙返りに挑んでいた。恐ろしいほど澄んだ青空に描かれた円は力強く、鳥の舞いのように美しくて、一瞬、空を見上げて息を飲んだ。彼女が渡してくれた、濡れた百円玉2つを、強く握り締めて。

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増島 みどり
神奈川県鎌倉市生まれ
学習院大学政治学科卒業
スポーツ紙記者として五輪、サッカー、プロ野球などを担当し、1997年からフリーのスポーツライターとして活動を開始。 サッカー、陸上競技のビックイベントなど、国内にとどまらず年間多数の海外現地取材もこなす。
1998年から自身のホームページMasujima Stadiumを開設し、取材先からリアルタイムで記事を更新している。
主な試合リポートの寄稿としてSPORTS Yeah!(角川書店)、連載に「ジーコインタビュー」(FOOTBALL NIPPON/講談社)、「ジーコ流儀」(FRIDAY/講談社)、「セブンアイ」(東京中日スポーツ新聞)、「アスリート・ラボ」(夕刊フジ大阪)など。著書に「6月の軌跡 ‘98フランスW杯日本代表39人全証言」(’98 文芸春秋/ミズノスポーツライター賞受賞)、「シドニーへ 彼女たちの42.195Km」(’01 文芸春秋)、「ゴールキーパー論」(’01 講談社)、「オリンピアン、108年目の夏」(’04 角川書店)、ほか。